April 9, 2024

国際連帯によるウクライナの文化財遺産保護

栗原祐司
ICOM日本委員会副委員長

2022年2月24日にロシアがウクライナに大規模に侵攻して以来、2年以上が経過した。未だ戦争終結の兆しは見えず、戦闘のさらなる長期化が避けられない情勢となっている。3月10日(日本時間11日)にドキュメンタリー映画『実録 マリウポリの20日間』が米アカデミー賞国際長編ドキュメンタリー賞を受賞したが、マリウポリで起きた惨劇は、他の多くの都市でも起きているのだろう。この現実を日本に暮らす我々も受け止め、何ができるかを考えなければならない。

300か所以上の文化財被害
今年3月13日、ユネスコは、ウクライナで346の文化財が損壊していることを発表した[i]。宗教施設127か所、歴史的・芸術的価値のある建物154か所、博物館31館、モニュメント19か所、図書館14館、公文書館1館が含まれている。昨年11月30日の発表では、331の文化財(博物館29館)であったから、被災文化財の数は着実に増加していることがわかる。今年の元旦には、リヴィウのコルネット・ウクライナ蜂起軍ローマン・シュヘヴィッチ邸博物館(Museum of General Cornet Ukrainian Insurgent Army Roman Shukhevych)が破壊された。同館はリヴィウ歴史博物館の一部門であり、幸いコレクションは避難しており無事だったが、1942-1960年に、赤軍とドイツ軍の双方に対するパルチザン・レジスタンス活動を行い、第二次世界大戦終結後は独立した政府を樹立するためにソ連と戦ったウクライナ蜂起軍の司令部であり、ローマン・シュヘヴィッチ将軍の終焉の地でもあった家屋や家具、調度品類は焼失したという。

ユネスコが2月13日に発表した報告書「In the face of war, UNESCO’s action in Ukraine」[ii]によると、ウクライナの観光業復興には今後10年間で90億ドルが必要とのことだ。この試算は開戦から2年を前に行われ、ユネスコは文化財に対する被害額を35億ドルと推計しており、美術品や文化所蔵品の被害は1億6100万ドル(約241億円)にのぼる。ユネスコは、同報告書で「ウクライナの観光復興に向けては、国際的な連帯が不可欠。リスク回避策とクリエイティブ産業への支援が、長期化する戦争の影響を軽減するための重要な手段になる」と述べている。

進む国際連帯
昨年2月8-9日に「戦時下における文化遺産の保護に関する国際フォーラム」がオンラインで開催され、5月17-20日に欧州連合諮問ミッション(European Union Advisory Mission:EUAM)ウクライナが主催する「文化遺産犯罪:戦時中とそれ以降」Cultural Heritage Crime: In Wartime and Beyond)」と称する会議をリヴィウで開催し、ウクライナの文化遺産に対する犯罪の調査と防止のためのベストプラクティスに関するアイデアや経験について議論を行ったのは既報[iii]の通りだが、ウクライナの文化財・博物館関係者は、様々な国際会議やワークショップに参加し、情報発信を続けている。

昨年8月、ウクライナ国家汚職防止庁(National Agency on Corruption Prevention;NACP)が「戦争と制裁」ポータルに新たに「戦争とアート」のセクションを立ち上げた[iv]。このデータベースには、ロシア人が所有する略奪美術品に関する情報が300点以上含まれており、多くの裕福なロシア人はEUや米英による経済制裁を受けて、海外でお金を稼いだり移動したりできない状態になっている。彼らは「美術品を通じてお金を隠して洗浄する」傾向があるため、まさに芸術作品が制裁を回避するための抜け穴として利用されているのである。「戦争とアート」のセクションは、制裁対象のロシア人が売買する美術品の流通を監視できるようにし、さらなる凍結、没収、将来のウクライナへの返還を目指している。

今年2月29日には、首都キーウで、ウクライナ政府などが主催する「正義のための文化遺産のための国際会議(International Conference United for Justice United for Heritage)」が開催され、世界中から400人以上の主要な専門家、各国の検察や政府関係者、市民団体、ユネスコなどの国際機関が参加した[v]。同会議は文化遺産に焦点を当てたハイレベル国際会議で、ウクライナの文化遺産への被害の程度(戦争犯罪の記録と訴追の進捗状況)を評価し、ロシアの戦争犯罪や盗まれた文化財の違法取引に対する措置を検討するための会議と言ってよい。

冒頭あいさつしたウクライナのデニス・シュミハリ首相は、「世界は、文化の分野における破壊行為や野蛮行為に対する処罰の前例を必要としている。これは、世界のすべての地域とすべての大陸で、私たちの文明の遺産の保護と保存のために、全人類にとって非常に重要なことだ」と強く非難した。また、アンドリー・コスティン検事総長は「ウクライナの文化遺産に対する破壊や略奪の証拠は膨大にある」と述べ、ロシア側の責任を追及していく姿勢を示し、「不法に略奪された遺産を取り戻すために行動しなければならない」と国際社会に協力を呼びかけた。オンラインで参加した欧州評議会(Council of Europe)のクリストス・ギアクモプロス事務局長は、「ロシアのウクライナ侵略の結果として、意図的に破壊または損傷、消滅したことが証明された文化財は、将来の賠償の不可分な部分であるべきだ」と強調した。また、「文化財に関する犯罪に関する欧州評議会条約(Europe Convention on Offences relating to Cultural Property;ニコシア条約)」[vi]のウクライナの批准は、文化財に関連する特定の刑事犯罪を確立し、文化遺産の保護と保存へのコミットメントを示すため、確かに有益である可能性があると述べた。

パネルディスカッションでは、文化遺産に対する犯罪と、ウクライナの人々の遺産に影響を与えるものに焦点を当てた。ロスチスラフ・カランディエフ文化情報政策大臣代行は、「文化なくして国家はない。侵略国は、ウクライナに対して意図的に文化的大量虐殺を犯している。文化的な問題を後回しにすることはできず、それらに対処しなければならない」と強調した。続いて、文化財の不法取引や窃盗との闘いについて議論を行い、アドボカシー(支持)とアカウンタビリティ(説明責任)のためのさらなるステップ、そして市民社会のアクターの役割に焦点を当て、「正義と説明責任なくして平和はあり得ない(No peace can be without justice and accountability)」ことが改めて確認された。

具体的な動きとして、4月2日には、欧州評議会の後援の下で設立されたウクライナ損害登録簿(Register of Damage for Ukraine;RD4U)[vii]が発表され、ロシアのウクライナ侵略によって引き起こされた損害、損失、または傷害の補償のための請求提出プロセスが正式に開始される。同登録は、戦争の影響を最も受けた個人からの請求やウクライナの重要インフラの損傷・破壊に関連する請求に特に焦点を当て、ウクライナのデジタルシステムを通じて簡単かつ安全にウクライナ損害賠償登録局に提出されることになるという。

なお、同時期に、中核的な国際犯罪に関する合同調査チーム(Joint Investigation Team JIT)[viii]に参加している7つの国家当局は調整会議を開催し[ix]、JITを2年間延長することに合意している。こうした重層的な国際連帯によってロシアへの圧力を強め、ウクライナの文化財被害が一日も早く終了することを期待したい。

日本の支援
周知のとおり、昨年3月21日に岸田首相がウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領と首脳会談を行った。「日本とウクライナとの間の特別なグローバル・パートナーシップに関する共同声明」[x]には、「ウクライナは、戦争によって損傷を受けたウクライナの文化遺産の保護及び保全のために日本が支援を提供する用意があることを歓迎した。」との一文が含まれている。

また、G7広島サミットで採択された「ウクライナに関するG7首脳声明」[xi](5月19日)には、「被害を受け、脅かされたウクライナの文化財及び文化遺産の保全の重要性を強調する。」との文言がある。5月21日に開催されたセッション8「ウクライナ」でゼレンスキー大統領がゲストとして出席し、ウクライナ情勢について議論が行われた。

今年に入って、1月7日に上川外務大臣がウクライナを訪問し、外相会談を行った。2月7日に加納雄大ユネスコ日本代表部大使が、オドレー・アズレー・ユネスコ事務局長との間で、ウクライナ代表部のバディム・オメルチェンコ大使の参加を得て、ユネスコが取り組むウクライナ支援のため、日本として令和5年度補正予算から約1,460万ドル(約20億円)の拠出を行うことを約束する文書の署名を行った[xii]。主要分野として、世界遺産「オデーサ歴史地区」を含む文化遺産への戦争被害の監視、評価及び緊急対応を通じて保護を強化することを含んでいる。日本は、令和4年度補正予算でもユネスコを通じてウクライナ及び周辺国に約1千万ドル(約10.8億円)相当の支援を行っている。2月19日には、東京で「日ウクライナ経済復興推進会議」が開催され、デニス・シュミハリ首相が来日した。国内の博物館等からICOM日本委員会がお預かりしている義援金も1,300万円を超えている。今後、ウクライナの被災した博物館や文化財の復興支援に少しでも役立つことを祈念する次第である。


[i] Damaged cultural sites in Ukraine verified by UNESCO | UNESCO

[ii] In the face of war, UNESCO’s action in Ukraine – UNESCO Digital Library

[iii] https://icomjapan.org/journal/2023/02/28/p-3217/

[iv] https://www.smithsonianmag.com/smart-news/ukraine-launches-database-to-track-art-owned-by-sanctioned-russians-180982697/

[v] United for Justice会議は、昨年3月3日-5日にロシアが犯した国際犯罪に対する国際的および国内的な説明責任を確保することを目的として初めて開催された。

United for Justice. United for Heritage: Ukraine holds conference devoted to Russia’s destruction of cultural monuments – Rubryka

[vi] 文化財の保護に関しては、1954年ハーグ条約、1970年ユネスコ条約、世界遺産条約、1995年ユニドロワ条約等があるが、刑法事例として取り扱うものはなかったため、欧州評議会は、文化財の不法取引および破壊の防止を目的とする文化財犯罪条約を2017年5月にキプロス・ニコシアにおいて採択した。2022年4月1日に発効。

[vii] https://rd4u.coe.int/en/

[viii] JITは、ウクライナへの侵攻開始から3週間後にリトアニア、ポーランド、ウクライナが設立し、その後エストニア、ラトビア、スロバキア、ルーマニアが加盟した。ユーロジャスト(欧州司法機構)、国際刑事裁判所検察官事務所(ICC)及びユーロポール(欧州刑事警察機構)も参加している。

[ix] Agreement to extend the joint investigation team into alleged core international crimes in Ukraine for two years. | EEAS (europa.eu)

[x] https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100478708.pdf

[xi] https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100506325.pdf

[xii] https://www.unesco.emb-japan.go.jp/itpr_ja/ukraine_support.html