August 10, 2023

被害が続くウクライナの博物館と文化遺産

栗原祐司
ICOM日本委員会副委員長

「緊急レッドリスト」ウクライナ編

 昨年11月、ICOMは「緊急レッドリスト」のウクライナ編(“Emergency Red List of Cultural Objects at Risk – Ukraine”)を発表した。ICOMでは、2000年以降文化遺産の不正取引と闘うためのレッドリストを発表しており、文化遺産の専門家及び法執行官が、国内法及び国際法によって文化財を保護するための実用的なツールとなっている。これまでエジプト、イラク、シリア、アフガニスタン、中国などのレッドリストを発表しており、昨年8月に開催されたICOMプラハ大会で発表された南東ヨーロッパ編(Southeast Europe)1に次いで、20番目の発刊となる。

ウクライナ編は、昨年2月24日にロシアがウクライナに大規模に侵攻して以来、ウクライナの文化遺産の被災リスクが増大したことから緊急に発刊することになり、6月にはICOMから発刊する予告がなされていた。同レッドリストには、53点の古文書、絵画、装飾品、イコン(聖像画)、宗教工芸品、貨幣、考古資料等が掲載されている。これらは、ウクライナ国立美術館、キーウ国立ウクライナ歴史博物館、国立ウクライナ民俗装飾芸術博物館、ウクライナ書籍印刷博物館 リヴィウ宗教史博物館、キーウ・ペチェルスク大修道院国立保護区、国立保護区 “古代ハリーチ”、タラス・シェフチェンコ大学考古学博物館等11の機関が所蔵しているもので、スキタイ人から20世紀の前衛芸術家まで、ウクライナの豊かで長年にわたる多様な文化遺産を浮き彫りにしている。

このレッドリストの発表は、ウクライナの文化遺産の破壊と不正取引が現在においてもなお進行中であることから、今後さらに改訂が行われる可能性もあるだろう。実際、昨年11月11日にロシア軍が8カ月占領したウクライナ南部ヘルソン市一帯から撤退する際、ヘルソン美術館2から約1万5,000点以上ともいわれる大量のコレクションが略奪されたという事実は、記憶に新しい。今後、これらのウクライナから略奪・盗難された文化遺産が世界各地で流通し始める際に、それらを識別するための適切かつ効果的なツールであり続けることを祈りたい。日本もまた他人事ではない。

「文化遺産犯罪:戦時中とそれ以降」会議

今年2月8-9日に「戦時下における文化遺産の保護に関する国際フォーラム」がオンラインで開催されたのは既報の通りだが、その後、5月17-20日に欧州連合諮問ミッション(European Union Advisory Mission:EUAM)ウクライナが主催する「文化遺産犯罪:戦時中とそれ以降」Cultural Heritage Crime: In Wartime and Beyond)」と称する会議をリヴィウで開催し、ウクライナの文化遺産に対する犯罪の調査と防止のためのベストプラクティスに関するアイデアや経験について議論を行った。今回も、国内外の博物館や文化機関のみならず治安当局や司法当局を含め様々な分野を代表する専門家が参加し、文化遺産犯罪に対する法的枠組み、運用アプローチ、国際的及び地域的な対応について検討し、国内及び国際レベルでの協力、協調的な努力及び情報交換の重要性を強調したという。

この会議は、ICOMの定める国際博物館の日(International Museum Day)に合わせて開催され、ICOMウクライナ国内委員会は、戦争によってもたらされるリスクから「コレクションとコミュニティを保護する」上で博物館が果たす中心的な役割を強調することを目的として、「戦時下の博物館:消えるか盾となるか(Museums in wartime:To perish or to become a shield)」という印象的なメッセージが記されたポスターをデザインした。周知のとおり、今年の国際博物館の日のテーマは、「博物館と持続可能性、ウェルビーイング(Museums, Sustainability and Wellbeing)」である。ウクライナの博物館コミュニティにとっては、まさに戦時下においていかに博物館と文化遺産を守るかが、持続可能性とウェルビーイングに向けた喫緊の課題だということなのだろう。会議には、ICOM本部からの文化遺産保護部門の責任者(Head of Heritage Protection Department)がリヴィウを訪れて参加し、会議後にウクライナの文化情報政策副大臣、ICOMウクライナ国内委員長、ICOM-DRMC副委員長のイホー・ポシヴェイロ(Ihor Poshyvailo)マイダン博物館館長ら関係者と意見交換を行ったという。

イホー・ポシヴェイロ氏が館長を務めるマイダン博物館では、2022年2月のロシア侵攻以来60以上の博物館(22が破壊され、41が損傷)、10万点以上のコレクションがロシア軍によって略奪されたメッセージを出している。

オデーサ歴史地区への攻撃とユネスコ

去る7月23日、ロシア軍が南部オデーサへの大規模な攻撃を行い、世界遺産に登録された「オデーサ歴史地区(The Historic Centre of Odesa)」にあるスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂をはじめ、25の建築記念碑が被災したとの衝撃的なニュースが報じられた。ウクライナには首都キーウの聖ソフィア大聖堂やリヴィウの歴史地区など7つの世界文化遺産と1つの世界自然遺産が登録されているが、今回攻撃を受けたオデーサ歴史地区は、ロシアによる侵攻によってオデーサが度重なる攻撃を受け、歴史地区も危機にさらされるという状況において今年1月に異例の緊急登録がなされたばかりであり、同時に「危機遺産(World Heritage in Danger)」としても登録された。

ユネスコにとっては、ロシアを含むユネスコの全加盟国が世界遺産に「意図的な破壊をもたらさない」義務を負っており、まさに攻撃が行われているオデーサの一部を世界遺産に登録することは、ロシアに対する牽制にほかならなかったであろうし、「危機遺産」リストにも登録されたことで、ウクライナがその財産を確保し、必要であればその復興を支援するためにユネスコや加盟各国に技術・財政支援を要求できることを意味していた。

実際ユネスコは、戦争の勃発以来、ウクライナの文化遺産を守るため、消火器、木製の盾、防毒マスクなどの材料に加え、火災や爆発の影響から保護するための重要な器材を文化施設のために購入し、オデーサの地方自治体にも届けられた。世界遺産の隣接地域(バッファーゾーン)に位置するオデーサ美術館とオデーサ近代美術館に与えられた損害に対する修理も支援を行っており、被災したオデーサ美術館のガラス屋根は、20世紀初頭の元のデザインを尊重して慎重に修理が行われたという。また、約1,000点の芸術作品とオデーサ州立公文書館のドキュメンタリーコレクションのデジタル化のための機器が提供され、ウクライナ国立保存修復センターの保存修復家と協議し、地方自治体と緊密に協力して、爆発や損傷の可能性の影響から5つの公共記念碑の保護に対する支援を行っている。

これまでロシアはウクライナの世界遺産には攻撃を加えてこなかったが、今回大規模な攻撃を行ったことで、ユネスコのアズレ事務局長は、直ちに声明を発表し、「この非道な破壊行為は、ウクライナの文化遺産に対する暴力が激化していることを意味する」と強く非難し、「ロシアに対して条約を含む国際法上の義務を順守するよう強く求める」と訴えた。文化遺産の意図的な破壊は、ロシアも常任理事国である国際連合安全保障理事会でも決議3されているように戦争犯罪に相当する可能性がある。このため、ユネスコはオデーサにミッションを派遣し、損害の予備評価を実施する予定だという。さらに、ユネスコは、7月31日に首都キーウにある聖ソフィア大聖堂等の建築物やリビウの歴史地区も危機遺産に登録するよう勧告した。9月にサウジアラビアのリヤドで開かれる世界遺産委員会で審議されることになると思われるが、いよいよウクライナがこれまで開催してきた会議による国際連携の成果が影響を発揮することになるのだろうか。

イコモスもまた、世界遺産委員会の諮問機関として、ユネスコ事務局長とともに、ウクライナのリヴィウとオデーサなどの世界遺産地域に対する度重なる攻撃により人命が破壊され、重要な文化遺産が損傷されたことに対して最も強い非難を表明した。世界遺産地域にあるオデーサ考古博物館やオデーサ海事博物館、オデーサ文学博物館にも被害が及んでいるといい、ICOMも新たな声明等を出すことになるだろう。国際的な連帯によって一日も早く戦争が終結し、これ以上ウクライナの博物館や文化遺産の被災が拡大せず、早期にそれらの復旧がなされることを希う次第である。


  1. アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、クロアチア、モンテネグロ、北マケドニア、モルドヴァ、ルーマニア、セルビア、スロヴェニアの10か国。
  2. ウクライナの芸術家オレクシー・ショフクネンコにちなんで、Oleksiy Shovkunenko Kherson Art Museumと称している市立美術館。17~20世紀初頭のイコンや、19世紀後半~20世紀初頭のウクライナゆかりの画家の絵画等が所蔵していたが、適切な梱包もされないまま持ちさられたという。ロシア占領下のクリミアに輸送されたと言われ、ヘルソン地域の警察は犯罪捜査を行い、刑事訴訟を開始した。
  3. United Nations Security Council Resolution 2347(2017)  ISILによる文化財破壊を非難した決議