March 31, 2022
新たな技術が支えるコロナ禍の国立科学博物館―展示・学習支援、研究・収集活動の現在と将来
[2022.3.30]
国立科学博物館地学研究部
生命進化史研究グループ
矢部 淳
国内で新型コロナウィルスの影響が最初に報告されてから2年余りが経過した。全国に緊急事態宣言が出された第1波以来、感染拡大の波に幾度も襲われながらも、私たちは少しずつ経験を積み重ねてきた。現在では各館とも完全に展示室を締め切ることなく、“ウィズコロナ”の中で活動を続けられつつあるのではないだろうか。本稿では国立科学博物館がこの間経験してきたいくつかの事例を紹介しながら、特にその中で新たな(しかしもはや一般的な!)技術によって発展した事業について、科博研究部の人間という立場から報告したい。
独立行政法人国立科学博物館とは
当館は国立の博物館としては唯一の自然科学系博物館であり、1877年の開館からおよそ150年の歴史をもつ。当館には自然分野(動物・植物・地学・人類学)と科学技術の5分野があり、各分野の調査研究、標本資料の収集・保管を通じた「ナショナルコレクション」の構築と継承、展示や学習支援活動を通じた自然と科学の普及をミッションに活動を行なっている。多くの“国立館”と同様、当館の運営資金の大半は国からの交付金によっているが、2001年に独立行政法人となってからは、入館料収入などをはじめとした自己収入の拡大が強く求められている。
当館には、メインの展示室がある「上野本館」(東京都台東区上野公園)以外に2つのサテライトがある。東京都港区白金台に位置する「附属自然教育園」は江戸時代から続く庭園を引き継いだ半自然の森林緑地で、緑に溢れた様子は、さながら都会に現れたオアシスである(図1)。本館から北東50kmほどに位置する「筑波地区」は、茨城県つくば市の学園都市内にあり、筑波実験植物園と筑波研究施設から構成されている(図2)。60名を超える当館の常勤研究職員のほとんどがこの筑波地区に常駐しており、収蔵標本も同地区内の収蔵庫で保管管理されている。このため、博物館のマネジメントを司る上野地区の各部門とは常に地理的に離れながら、博物館の各種事業を連携して運営・実施している。このように地区ごとに状況が大きく異なるため、コロナ禍における対応も必然的に立地に応じたものとなっている。
コロナ禍の国立科学博物館―当初の対応
令和2年(2020年)1月初旬に国内最初の感染例が確認され、2月までに全国で新型コロナウィルス感染症の拡大が確認されると、文部科学大臣の要請を受け、当館でも2月29日から3施設を臨時休館とした。上野本館は6月1日から、屋外施設を中心とする筑波実験植物園および附属自然教育園はいち早く3月25日から野外施設を再開したものの、緊急事態宣言発令地域の拡大にともなって、筑波実験植物園は4月14日から5月17日まで、附属自然教育園は3月28日から5月31日まで再び臨時休館とした。当館では企業などと共同で主催する「特別展」と、自主財源による「企画展」を実施しているが、緊急事態宣言の影響で当時開催していた特別展と企画展はどちらも会期途中で終了となり、その後に予定されていた展示のいくつかも延期もしくは中止となった。
再オープン後は、上野本館については事前予約制による入場制限をもうけ、他2施設についても検温・消毒の徹底により、臨時休館をすることなく運営を継続している。館内では来館者自身のスマートフォンで展示解説を見ることができるサービスを開始するなどの改善をすすめているが、密が避けられないなどの理由で感染リスクが相対的に高いと考えられる施設・設備や来館者サービスは、2022年3月の現在も引き続き休止している。この中には、小学生未満の子供と保護者が体験しながら学ぶことのできる「親と子のたんけんひろばコンパス」などの人気コーナーや、ボランティアによる「かはくのモノ語りワゴン」などがある。こうした部分的な休止や入場制限は、館の「経営」に現在も大きな影響を及ぼしている。
オンライン技術を用いた活動の活発化
最初の緊急事態宣言発出は大きなインパクトがあり、社会全体が強い緊張感と閉塞感に包まれていたことを筆者自身も強く覚えている。長期の休館が予想された当館では、宣言が発出される直前、自宅で楽しめるビデオコンテンツや将来の再会を期待するメッセージを出そうと広報課からの呼びかけがあり、筆者を含めた研究部職員は緊急事態宣言下でテレワーク等をしながらビデオメッセージの作成に取り組み、広報課職員の協力で当館のYouTubeチャンネル(かはくチャンネル)で配信した。「おうちでかはく、科学に触れる時間」と題したこのプログラムは現在までに29タイトルを数え、研究や標本の収蔵管理などのバックヤードを紹介する魅力的な内容になっている(図3)。実は当館ではコロナ禍以前からYouTubeやSNS等を活用した広報の準備が進められていたが、コロナ禍の影響が顕在化したこの時期にその重要性が再認識され、館内で一気に共有された感がある。さらにその後も「おうちでかはく」に続くコンテンツが多数作成され、YouTube等を用いた情報発信は当館の広報活動の重要な柱の一つに位置付けられるようになった。
展示のVR化と発展
コロナ禍が発生してから程なくして、当館では広報担当職員が中心となって常設展示のVR(Virtual Reality)化を進めた(図4)。360°カメラで撮影した高精細な映像で、仮想空間上に展示室を立体的に再現し、あたかも展示室内にいるかのような感覚を味わうことができる。画像も非常にクリアで歪みがないため、単に展示の雰囲気を楽しむだけでなく、展示パネルや標本を使った学習等への活用が当初から期待されていた。コロナ禍での休館や移動制限の中、遠方から来館いただくことが困難となったため、当館では、このVRを活用して展示の楽しみ方を紹介するビデオ作成にも取り組んだ。
その後、展示のVR化はいくつかの企画展示でも試みられている。並行して作成した「解説ビデオ」と合わせて視聴することで、展示内容の振り返りが可能になり、従来見落とされていた、会期中に来館できなかった方にも、展示を“体験”いただくことができるようになった。さらにこの試みは、展示をアーカイブする意味でも重要な意義があった。
特別展・企画展への影響と新たな展開
新型コロナウィルスの影響は、国内の人の動きに影響しただけでなく、当然、海外との交流にも大きな影響を及ぼした。当館の特別展では、海外の博物館等から重要な標本を借用して展示することが多かったが、そうした企画の実施が困難になった。事実、いくつかの特別展では海外からの借用を中止し、国内標本のみで展示できるよう企画を修正した。
筆者自身が一部の監修を務めた「植物ー地球を支える仲間たち」(会期:令和3年7月10日〜9月20日)でも、当初は海外からの標本借用を計画したが、そのほとんどを断念することとなった。展示の中で唯一借用することのできた標本は、チェコ国立博物館から借用がかなった化石標本である。海外博物館から標本を借用する場合、現地博物館の担当者が設営を行うのが通例である。当該標本については、コロナウィルス感染症の拡大で立ち会いが困難になった場合には、オンラインで作業監督をするという条件を契約に盛り込んだ。上野本館での設営・撤去作業の時期は海外からの渡航が厳しく制限されていたため、実際にZoomによるオンライン会議を設定し、設営・撤去作業の一部始終を先方の研究職員にライブで確認していただいた(図5)。こうしたイレギュラーな提案を先方が受け入れた背景には、チェコ国立博物館自身も「コロナ禍」に見舞われていたことで、ある種の仲間意識があったのかもしれない。いずれにしても、ここでもオンラインの技術が生かされた訳である。展示の関連イベントにおいても、オンラインを活用した取り組みにより、「距離」や「時差」を過度に意識することない柔軟な取り組みが可能となっている。
標本収集や研究活動への影響
当館の活動の根幹ともなっている研究活動への影響もみてみよう。筑波地区では研究職員は基本的に個室で、せいぜい数名の作業員と共同で作業を行っている。このため、感染拡大の当初から、基本的な感染症対策をした上で、概ね通常の勤務ができていた。しかし、館外での活動には依然大きな影響があり、新しい標本の収集などに影響がでている。とりわけ海外での調査活動は全く実施ができていない。当面はこれまでに収集した資料の検討などで成果を出していくしかないが、将来的に展示や学習支援活動等への影響がでることが懸念される。
筑波地区では、茨城県内に緊急事態宣言が出ていない限り、研究者等の受け入れを継続しているが、年間の利用者数は昨年45%程度にまで減少した。特に、渡航制限がある海外研究者はほとんど来館できておらず、研究の進展に大きな影響が出つつある。
学習支援活動等における課題
当館が行なっている学習支援活動は、上野本館で展示や研究活動の紹介を行うディスカバリートーク、自然史セミナー、野外観察会をはじめ様々なコンテンツがある。研究者の専門が多岐にわたるため、その内容もバラエティに富んで魅力の一つとなっていたが、多くのプログラムの実施が難しい状況が続いている。ディスカバリートークについては、展示室内で来館者と近距離でやり取りする形式は取らず、大人数を収容できる講堂等で参加人数を制限し、換気のために1日の実施数も従来の半分に減らして実施している。一方、自然史セミナーや観察会など、対面での実習を伴う講座は現在も再開することができていない。大学生や大学院生等を対象にした自然史セミナーは各分野で後継者育成の性格もあった。また、観察会は各分野の専門家と直接やりとりしながら学校教育では触れられない自然科学に触れる貴重な機会でもあったため、こうしたプログラムが実施できていない影響は将来に現れることも予想される。
このような中、ICT(通信情報技術)を用いて、研究者が参加者と双方向でやりとりしながら野外展示や実習を提供するプログラムが筑波実験植物園で始まっている。担当した研究者によれば、双方向でのやりとりは参加者の満足度向上に寄与するだけでなく、研究者自身の手応えにも繋がるという。こうした経験や技術の導入は、おそらく当館の他の学習支援活動にも今後応用されていくものと大いに期待している。
おわりに
新型コロナウィルス感染症との“共存”はまだしばらく続きそうである。しかし過去2年余りの経験は、博物館活動を本来のものに近づけつつあり、一部事業については以前よりも発展した部分もあるように思う。今後も慎重に活動を継続しながら、未解決の課題に挑戦していきたい。
本稿を用意している最中、海外研究者から立て続けに数件の連絡を受けた。今年の秋頃に日本に標本を見にきたいというのだ。いよいよそのような段階に戻ってきたかという感慨もあるが、筆者自身も、研究を基礎にした当館のミッションを完遂できるよう努めていきたい。
(やべ あつし)