August 20, 2021
コロナ禍とアクセシビリティ――三重県立美術館の場合
[2021.8.20]
三重県立美術館 学芸普及課 主任(学芸員)
鈴村麻里子
三重県立美術館では、7月下旬現在、「美術にアクセス!――多感覚鑑賞のすすめ」展 (以下、アクセス展/会期:2021年6月5日―8月1日)という企画展を開催している。ここでいう「アクセス」とは、「障がいの有無にかかわらず誰もが利用する機会や権利を得る」こと。本稿では、当館がこの展覧会を開催するに至った経緯や、新型コロナウイルス感染症の感染拡大から受けた影響を、展覧会担当学芸員が紹介する。
1.コロナ禍まで
三重県立美術館は、2018年3月に策定した「三重県立美術館のめざすこと」において、「誰もが利用しやすい環境」を整えることを活動指針の一つに定めている。2015年度から2017年度までの3年間は、県内の特別支援学校との連携事業を行い、誰もが利用しやすい環境について検討を重ねてきた。連携事業は2017年度でいったん区切りをつけたものの、2018年度以降も、美術館スタッフはさまざまなミュージアムでアクセスに関する調査を継続。2018年度には、筆者によるアメリカ・ニューヨークのミュージアムでのアクセス・プログラムの調査も実現した。その際に印象に残ったのは、目の見えない/見えにくい人が対象ではないアクセス・プログラムでも、触覚を活用した鑑賞活動が重視されていたこと、さらに多感覚を活用するアクセス・プログラムの手法がいわゆる「障がいのない人」向けのプログラム開発においても参考にされていたことである。
米国での調査は、2016年度に特別支援学校で実施した、ある鑑賞プログラムを振り返るきっかけにもなった。そのプログラムとは、知的障がいのある児童生徒が参加した、彫刻作品をさわる鑑賞プログラムである。(図1)
このプログラムは、触覚の活用が作品の認知に有効だからという担当教員によるリクエストによって実現した。実際、視覚と触覚が併用された時、鑑賞者間のコミュニケーションは活発化し、児童生徒が自分から作品に関心を持ちやすくなる様子も窺えた。年齢や障がいの有無を問わず美術鑑賞に苦手意識を持つ人は多く、自分なりの鑑賞の楽しみ方を見出すのは簡単なことではない。いかにして鑑賞を能動的な体験にするか、という問いは美術鑑賞の究極の課題でもあるが、アクセス・プログラムにおける多感覚の活用、とくに触覚の活用は、その課題を解決する糸口になるのではと考えられた。
障がいの有無にかかわらず、さまざまな人がマルチセンサリー、マルチモーダルな鑑賞を体験するプログラムを企画したい―そのような希望を持って、2020年度には「美術館のアクセシビリティ向上推進事業」(以下、アクセシビリティ事業)の立ち上げを計画。当時既に2021年度初夏開催のアクセスに関わる展示を企画していたため、前年度にさまざまな障がいのある人と協働し、企画展でその成果を紹介したいという思いもあった。ところが、ちょうど助成の採否通知を待っていた頃、国内で新型コロナウイルス感染症の蔓延が始まった。
2.1年目のアクセシビリティ事業
感染経路等が次第に判明するにつれ、当館の職員の間でも、触覚や嗅覚、味覚を活用するプログラムの実施は、当面、極めて困難になるだろうという認識が持たれるようになった。事業担当者である筆者にとっても、安全を確保できないまま、大勢の人を集めて接触を重視するプログラムを敢行することは現実性を欠く試みに思えた。
館内での検討の結果、2020年度のアクセシビリティ事業は規模を大幅に縮小することとなった。目の見えない/見えにくい人も交え、広く参加者を募る予定だったワークショップは、三重県視覚障害者支援センターの利用者数名が参加する小規模な鑑賞プログラムに変更した。
そのような状況下で、多くのミュージアムがこれまで対面で行っていたプログラムの開催方法をオンラインに移行し始めた。そうはいっても、障がいのある人を含む一定数の利用者はデジタルデバイスの使用を希望しておらず、オンライン化による排除や分断は可視化されにくい。何より、オンラインプログラムでは触覚や嗅覚等の活用も困難である。そのような懸念もあり、当館のアクセシビリティ事業ではオンラインの導入に二の足を踏んだ。
一方、オンライン化を進めたミュージアムからは、オンラインプログラムはこれまで美術館にアクセスしづらかった人のアクセスも可能にする、むしろアクセシビリティ向上に大いに寄与するという意見が挙げられるようになる。コロナ禍で、新たに、あるいはますますミュージアムを利用しづらくなった人たちの利用機会を確保することも急務である――そのような考えに至り、ようやく2020年度の終わりに、当館も乳幼児とその保護者向けのオンライン鑑賞会の実施に踏み切った。
3.2年目のアクセシビリティ事業とアクセス展
2021年6月5日からアクセシビリティ事業の一環として開催しているアクセス展では、近年の連携事業の成果に加え、過去に開発された当館の教育プログラムや鑑賞支援教材も紹介し、当館の所蔵品と教材を「誰もが利用しやすい」方法で展示することを試みた。展覧会サブタイトルは「多感覚鑑賞のすすめ」であり、視覚だけでなく触覚や聴覚を活用したり、想像力を駆使して聴覚や嗅覚、味覚、皮膚感覚を喚起したりする鑑賞を提案した。会場では当館のコレクションより40点超の油彩画、版画、水彩素描、彫刻を展示。ブロンズ彫刻のうち5点は、会期中いつでも誰でも触覚を使った鑑賞できるよう
にした。
展示デザインの検討については、可能な範囲で障がいのある当事者に協力を依頼した。例えば、会場に設置している触地図(図2)は、2020年度のアクセシビリティ事業で来館した視覚障害者支援センター利用者から「あると良いのでは」という助言を受けたツール。2021年3月には、別のセンター利用者2名が触地図の見本を展示室内で試しに使用し、設置場所や設置方法、掲載情報について検討を行った。当初会場全体(4部屋)で1点設置する予定だった触地図は、当事者からの助言を反映し、各部屋に1点、計4点設置した(図3)。
とはいうものの、すべてのディスプレイの実物大見本について、さまざまな障がいのある当事者から事前に助言を得ることは難しく、大部分は他館の先行事例を参考にしたり、『スミソニアン協会のアクセシブルな展示デザインのガイドライン』(2010)[1] を参照したりしながら、寸法や配置、材料を確定した。開幕後、展覧会には多様な人が来場し、アクセシビリティに関する意見も少しずつ集まってきている。今回利用者から得られた意見は、今後の当館の展示の検討にも大いに役立つものになると考えられる。
また、アクセス展会期中には、5種類の関連プログラムを実施する。準備にあたっては多様な利用者の参加しやすさ/しにくさを考慮し、オンラインの鑑賞ワークショップから、粘土を握ってバランスをとる対面ワークショップ(図4)、ハガキを使って「あいうえお作文」を投稿するプログラムに至るまでヴァリエーション豊富でバランスの良い構成を目指した。多様なプログラムの運営には、教育普及担当でありアクセス展の主担当でもある筆者のみならず、学芸普及課のスタッフ全員が携わっている。
展覧会準備の最大の障壁は、何を措いてもコロナ禍、とくに開幕直前期の第四波の到来だった。先に述べた理由により、企画当初からアクセス展では皆が等しく作品や教材にさわれる環境を作る予定であった。長期化するコロナ禍において、感染対策とハンズオン展示を並行して行うミュージアムも増え始めており、前年度にはそうした取組も参照しながら展示準備を進めていた。ところが、開幕直前に感染状況が一段と悪化したため、再度さわれる日時やさわれる人を限定するか否か検討する必要に迫られ、館内では感染対策について議論が重ねられた。
作品を保護し、利用者を感染から守り、あらゆる人の多様なリクエストに応える――そのためには、検討すべき課題が山積していた。どの段階で来館者が手袋を手に取り、どのように会場スタッフが来館者に声を掛け、どこで時計や指輪を外し、どうやって手指消毒するか等、流れや導線については展覧会の副担当者や保存担当者と何度も相談し、ロッカーやテーブル、手袋、ウェットティッシュ、センサー式のゴミ箱等を展示室に設置した(図5)。
アクセス展会期中に頻繁に受けている質問の一つに、「これは障がいのある人向けの展示ですか?」という問いがある。たしかに本展では、配布物の点訳や音訳を準備し、会場には音声再生装置(図6)や触地図、触図を設置し、特別支援学校や障がいのある当事者の支援団体や関連組織にも積極的に広報をしているが、「情報保障をしているから、作品にさわれるから、この機会に来館を」とすすめるのは、美術館本位の提案ではないだろうか。当然のことながら、障がいのある当事者自身が鑑賞したい、友人や家族と一緒に楽しみたいと希望する展示は、多くの来館者が足を運ぶ、もっと大規模な展覧会である可能性も高い。
館内でも既に課題として共有されているが、今回の取組をアクセス展限りにせず、継続することが肝要であると考えられる。また、今年度のアクセシビリティ事業では利用者の「美術館体験全体の質の向上」も目指しており、特定の展示室内だけでなく、館内の他の場所や、サイン等の改善の検討も視野に入れている。そして「美術館体験全体の質の向上」の先にあるのは、社会を構成する1人1人のQOLの向上という、より大きな課題であろう。展示室は、広い社会と地続きであり、利用者の生活もこの先の未来へと続いていくものである。展示室内、館内、展示会期という狭い枠にとらわれることなく、すべての人のためにミュージアムとしてできること、すべきことを、少しずつ進めたいと考えている。
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[1] Smithsonian Guidelines for Accessible Exhibition Design, Smithsonian, n. d.(2010)
※ 図の撮影はすべて松原豊による