September 4, 2020

被災時の博物館

東北大学災害科学国際研究所教授
一般財団法人世界防災フォーラム代表理事
小野 裕一

[本記事は、『博物館研究』Vol.55 別冊 (ICOM京都大会2019特集)の再録です]

はじめに

2018年にブラジル国立博物館が焼失し、2019年にはパリのノートルダム大聖堂、そして我が国でも首里城が、火災で相次いで失われた。それぞれの国のみならず人類にとっても貴重な文化遺産が失われてしまった。さらに、地震や台風などの自然災害によっても、文化遺産やそれらを収蔵する博物館が被災することも、毎年のように報告されている。このような中、2019年9月4日、第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会において、博物館を災害からどう守るべきかに関する議論が、博物館の防災に関するプレナリーセッション「被災時の博物館―文化遺産の保存に向けた備えと効果的な対応」として開催された。筆者は防災の専門家ではあるが、博物館研究の専門家ではない。しかし、2017、2018年に世界津波の日のイベントにちなんで国連が主催した「世界津波博物館会議」のモデレーターを務めたことが縁となり、上記セッションで同博物館会議の成果を報告したことから、本稿をまとめさせていただくこととなった。

プレナリーセッションの概要

本プレナリーセッションの概要(議長が英語で発表したプログラムブックの意訳)は以下のとおりである。大規模な災害が発生した場合、博物館は効果的・意識的・迅速に、人命と所蔵品を救うために対応せねばならない。防災計画を策定することは、我々の分野において重要な要素かつ法的責任であり、これはICOMの倫理規範にも沿っている。博物館は、災害の軽減・対策・対応・災害からの回復期を含む効果的な防災計画を作成する必要がある。博物館長は、職員がこれらの重要な任務を遂行する十分なリソースを確保するため、理事会や各国省庁から支援を求める必要がある。今日、世界では博物館の定義そのものが地域社会の収蔵物の保存・共有を含んでいるが、これらの措置はまだ十分に確立されていない。博物館は災害時、文化遺産保護を主導せねばならない。また、地域・国家防災計画に文化遺産保護が盛り込まれるよう働きかけねばならない。武力紛争の際には、職員も含めて文化遺産を保護する計画を求めていかなければいけない。そして災害から回復期には、被災したコミュニティが希望を持ち、アイデンティティを取り戻し、意味を見いだすことを支援できる。

本セッションに参加するパネリストは、博物館や地域社会に重大な影響を与える災害への対応、博物館職員の訓練、その他の災害時の緊急支援者、武力紛争時の遺産保護のための支持表明、国際的・国家的・地域的な災害対応メカニズムへの文化遺産保護の政策統合について、それぞれ専門知識と経験を有している。彼らの話が、ICOMのメンバーや参加者を惹きつけ、彼ら自身の防災計画を発展させるだけでなく、高まる災害リスクに直面する博物館や地域社会に、解決策を提供できるような議論を望む。

セッション

コリーン・ウェグナー
スミソニアン文化財レスキューイニシアティブ・ICOM災害リスク管理委員会委員長

コリーン・ウェグナーがセッションのモデレーターを務めた。彼女は、ICOMの災害リスク管理委員会の委員長で、ICOMUSのメンバーである。米国内外の災害における、文化遺産の保護に特化したアウトリーチ・プログラム、スミソニアン文化財レスキューイニシアティブのディレクターを務めている。また、武力紛争下での文化財保護のための訓練に、軍と協力して取り組んでいる。ここでまずICOMのStandingCommittee(執行役員会議により、従来会長が指名する特別な委員会)であったDisasterRiskManagementCommittee(災害リスク管理委員会)について触れておきたいと思う。この委員会の存在期間は、2017年1月1日から2019年12月31日までで、博物館の緊急対応に特化したものである。この委員会の仕事は、世界各地の博物館関連の専門家を集め、文化遺産の緊急事態を監視し、要請に応じて国際的な助言や援助を提供する準備を整えることである。対象となるのは大規模な自然災害や人為的災害、さらには軍事紛争の最中やその後の初期対応である。具体的な活動としては、1.災害に直面している博物館や遺産の状況を迅速に把握し、最も差し迫ったニーズを迅速に把握すること。2.国の対応能力を超える事態に対処すること。3.災害を監視し、危機に瀕している遺産への対応メカニズムを開発し、緊急事態における博物館への解決策を提案すること。3.専門知識と地域ネットワークの長期的な人材育成をサポートすること。4.危機に瀕する遺産に対する人々の意識を高めること。5.文化遺産を危機にさらす緊急事態に関する情報を交換・共有することにより、国際遺産共同体と連携することなどであった。ICOM京都大会では、2020年以降のこの委員会の継続性が注目されたが、ICOM京都大会組織委員会の強いイニシアティブが発揮され、DisasterRiskManagementCommitteeが、新たにICOMの31番目の国際委員会として発足することになった。ICOMUSのダイアナ・パデューが委員長である。新しいDRMCは、ICOM国際委員会の使命であり、緊急事態への準備と災害対応に関する効果的・刺激的・手段的・協力的な学際的プラットフォームとして、世界の博物館に貢献することが目的である。2022年までの活動は、ICOMにおける災害リスク管理や博物館の重要性についての認識を高めること、文化遺産と災害対応の分野における他のステークホルダー組織との協力の機会を設定すること、ならびに、災害リスク管理に関する情報資源の普及・訓練機会および専門的ネットワークのための博物館コミュニティ間のメカニズムを提供することである。

ヘナータ・ヴィエラ・ダ・モッタ
ICOMブラジル委員長

ウェグナー議長の趣旨説明と、生まれ変わることが決まったDRMCについての報告に続き、セッションではまず、ICOMブラジル委員長のヘナータ・ヴィエラ・ダ・モッタが、2018年9月に発生したブラジル国立博物館の火災について触れた。90%にも上る所蔵品を焼失してしまったこの火災の原因は、電気的な事故によるものとされている。適切な維持管理を行えば火災リスクは低減できるはずだと、公共政策や美術館運営の文化的側面を中心とした博物館学の博士である彼女は指摘した。この博物館は1818年に設立されたが、それ以前はポルトガルの王家の居住であった歴史的建造物でもある。どの国においても、文化的価値の高い古い木造の建造物の維持管理は、技術的にも継続的予算確保の上でも頭の痛い問題である。運営主体となる組織の財政状況が逼迫した時に、博物館の災害リスクが高まるようなことがあってはならない。質の高い持続可能な維持管理のための予算確保は最重要課題と言えるだろう。この火災は世界的にも注目された。ブラジル博物館機構(IBRAM)、国際博物館会議ブラジル委員会(ICOMブラジル)、および文化財保存修復研究国際センター(ICCROM)は、レスキュー活動から復興計画まで一貫した戦略を持つことと、博物館を共同で運営する大学や政府との連携の重要性を盛り込んだ「火災のリスクを軽減して文化遺産を守るリオデジャネイロ宣言」をまとめたとの報告があった。

アレハンドラ・ペーニャ・グティエレ
プエルトリコ・ポンセ美術館長・ICOMアメリカ役員

続いて、プエルトリコのポンセ美術館長のアレハンドラ・ペーニャ・グティエレが、2017年にハリケーン・マリアによるプエルトリコの壊滅的な被害状況と、その後の経済の停滞や人口減少などの社会的な影響について説明し、特に多くの若者が島を脱出してしまったことに触れた。同館は幸いにも大きな被災を免れ、被災後1週間で再開したが、ほとんどの携帯電話の通信タワーが強風で倒壊し、通信が途絶えた教訓から、災害時の備えとして通信手段の確保が重要であると述べた。博物館とコミュニティの関係については、災害時こそコミュニティとのつながりが重要で、博物館が被災を免れれば、災害時であっても博物館が被災者に日常の環境を提供でき、博物館が絶望的な環境におかれた被災者に希望や強さを取り戻せる意義を強調した。ポンセ美術館が巨大ハリケーンから大きな被災を免れたのは、おそらく建物の構造上の強靱さによるものと考えられる。東日本大震災の復興過程でも、バラバラになってしまったコミュニティのつながりを取り戻すにあたり力を発揮したのは、獅子舞や虎舞、盆踊りなどの伝統芸能や、あちこちから発見された文化財であった。有形・無形文化財とそれらを収蔵する博物館の災害復興期の役割は、世界的にも重要性が確認された。そのためにも、博物館は災害に対して強靱でなければならないだろう。

アパルナ・タンドン
文化財保存修復研究国際センター調整官(ICCROM)

ユネスコによって設立された文化財の保全・修復を行なう組織「文化財保存修復研究国際センター」(ICCROM)のアパルナ・タンドンは、非常時になってから文化遺産を守ろうとしても限界があると主張した。特に大規模災害の発生時、社会は大きく混乱するため、文化財の保護は必ずしも優先事項でないことに触れ、平常時、既存の防災計画に博物館などの施設の保護を入れておくこと、様々なセクターを横断する防災エコシステムを構築する必要があること、そのための調整が重要であることを述べた。文化財レスキューに関しても、重要な活動であっても、事前の防災計画の中に入れておかなければ、その活動はその場しのぎの寄付ベースで行われることとなり、十分な効果が見込めない恐れがある。

小野 裕一
東北大学災害科学国際研究所 教授

最後に、ICOMのメンバーではないが、筆者が発表した。まず、沖縄・石垣島(2017年)と東京・上野(2018年)において国連防災機関らによって開催された世界津波博物館会議の成果について述べた。世界津波博物館会議は、国連総会で11月5日が「世界津波の日」と定められたことを受けて実施されるようになった行事の一つで、日本の外務省も支援している。世界には多くの自然災害をテーマとした博物館や、自然災害の展示を行う博物館が、様々な規模・様々な組織によって運営されているが、一番数が多いのは日本ではないだろうか。公的機関や研究機関が行う一般公開イベントで、市民が気兼ねなく参加できるものは少ない中で、博物館は、市民や観光客が興味をもって足を運ぶ魅力を持っている。幅広い年齢層の人々が、視覚的・刺激的に楽しく防災を学ぶ環境は、博物館以外にあまりないかもしれない。その意味で、博物館は市民への防災教育と啓発活動にとって最も重要な施設の一つと言える。世界津波博物館会議の中で、重要な活動であると意見が一致したのが、子どもや若者と一緒に行う取り組みあった。一方で、各博物館の共通課題は、経済的な問題あった。特に個人が善意で経営している小さな博物館では、入場料を取らなければ運営が困難になり、寄付によりなんとか存続しているという報告もあった。

第二に、「仙台防災枠組」の7つのグローバルターゲットの一つ「大幅に経済的損失を削減すること」に基づいた指標として、文化財の損失も考慮されていることを述べた。文化財の損害被害額を査定するのは、非常に困難なことだが、たとえば博物館の修繕費は計上が可能である。世界の防災指針である仙台防災枠組に、文化財保護が明記されていることは、ICOMのメンバーにもっと周知されるべきである。各国の文化庁などは、この指針に則って災害時の文化財保護に関する取り組みを強化すべきで、また、防災主管官庁と連携するきっかけになればと思う。

第三に、歴史資料ネットワーク(史料ネット)について紹介した。史料ネットは阪神大震災を契機に活動を開始し、いまや日本全国で展開され、東北大学でも積極的に取組んでいる。日本では、貴重な歴史資料の多くが個人宅に所蔵されている。平常時は、そのような個人の協力を得て、資料の存在を把握し、古文書の撮影等を行い保存する活動を行う。災害発生時は、被災して瓦礫やごみとして捨てられかねない貴重な史料をレスキューし、クリーニング・保全する取組を行っていることを紹介した。

プエルトリコのポンセ美術館長 アレハンドラ・ペーニャ・グティエレによる発表

会場との意見交換

イギリスの男性から、仙台防災枠組・パリ協定・SDGsなどを一般市民に分かりやすく説明するための展示活動を、博物館とともに行っていることが共有された。

まとめ

「被災時の博物館―文化遺産の保存に向けた備えと効果的な対応」の全体会議セッションは、国立京都国際会館メインホールを埋め尽くす盛況ぶりであった。相次いで発生した博物館や歴史的建造物の焼失は、気候変動の悪影響が世界的な災害リスクの上昇という形で現れるのではないかという不安と相まって、参加者の興味を引いたように思う。博物館や文化遺産の保護は、すべての博物館の任務だが、ICOMとして、今回の京都大会において、Disaster Resilient Museums Committee(新生DRMC)が、新たにICOMの31番目の国際委員会として発足したことを歓迎する。世界津波博物館会議との連携はもちろん、一般財団法人・世界防災フォーラムの活動として取組を始めた「国内外の防災関連博物館の緩やかなネットワーク作り」と連携したいと思う。ICOM活動の今後益々の発展を祈りつつ、平常時には防災教育・啓発拠点としての博物館、災害時にあっては災害に強い博物館、被災後はコミュニティ復興の礎としての博物館の役割に期待したい。

(おの・ゆういち)